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東京地方裁判所 平成元年(ワ)3039号 判決 1991年3月29日

原告

亡ワーレン・スタンレー・マンゼン

マイヤー遺言執行者

甲野一郎

右訴訟代理人弁護士

阿部能章

被告

グレッチェン・ゲルツ・ルイス

右訴訟代理人弁護士

佐藤恭一

叶幸夫

水澤恒男

林正紀

被告

鹿島建設株式会社

右代表者代表取締役

鹿島昭一

右訴訟代理人弁護士

木澤克之

藤原浩

主文

一  本件訴えをいずれも却下する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一被告グレッチェン・ゲルツ・ルイス(以下「被告ルイス」という。)は、原告に対し、別紙物件目録一記載の土地について別紙登記目録一(一)記載の登記の、別紙物件目録二記載の土地について別紙登記目録一(二)記載の登記の、別紙物件目録三記載の土地について別紙登記目録一(三)記載の登記の各抹消登記手続をせよ。

二被告鹿島建設株式会社(以下「被告会社」という。)は、原告に対し、別紙物件目録一ないし三記載の土地について別紙登記目録二記載の登記の抹消登記手続をせよ。

第二事案の概要

本件は、先に作成された遺言書(旧遺言)により遺言執行者に選任されていた原告が、後に作成された遺言書(新遺言)の無効を主張し、新遺言の執行によって遺産である土地につき所有権移転登記等を得た被告らに対し、その抹消登記手続を求めている事案である。

一争いのない事実等

1  別紙物件目録一ないし三記載の土地(以下「本件各土地」という。)は、昭和六三年九月一〇日に死亡したワーレン・スタンレー・マンゼンマイヤー(以下「マンゼンマイヤー」という。)が所有する土地であった(争いがない。)。

2  マンゼンマイヤーは、昭和六二年七月一四日、東京法務局所属公証人三上庄一のもとで、原告を遺言執行者に指定し、原告に本件各土地の処分権限を授与する、同人には絵画等のほか、遺産の中から各受遺者への分与、遺言執行費用、葬儀費用等を控除した残額全額を遺贈する等の内容の遺言公正証書(昭和六二年第八六〇号)を作成した(<証書番号略>、以下「旧遺言」ないし「旧遺言書」という。)。

3  ところが、マンゼンマイヤーは、その後の昭和六三年七月二八日、新たに東京法務局所属公証人木村博典のもとで、旧遺言を撤回し、改めて岩田博(以下「岩田」という。)を遺言執行者に指定し同人に本件各土地の処分権限を授与する、同人には一億円を遺贈する、原告には中国製の照明器具等を遺贈する等の内容の遺言公正証書(昭和六三年第一一六号)を作成した(<証書番号略>、以下「新遺言」ないし「新遺言書」という。)。

4  岩田は、マンゼンマイヤーの死後、遺言執行者として、別紙登記目録一(一)ないし(三)のとおり、平成元年二月七日付でマンゼンマイヤーからその唯一の法定相続人である被告ルイスへ本件各土地の所有権移転登記手続をしたうえ、同年二月二七日、被告会社との間で本件各土地及びその地上建物を代金六三億円で売却する旨の契約を締結し(以下「本件売買契約」という。)、同日右代金の内金一五億円を受領するのと引換えに、本件各土地について別紙登記目録二記載のとおりの仮登記手続を行った(<証拠略>。右各登記がされたことは争いがない。)。

5  原告は、新遺言の無効を主張し、旧遺言の遺言執行者としての地位と権限に基づいて本訴請求をするものであり、被告らは、新遺言が有効であることを前提に、まず原告の当事者適格を争っている。

二争点

1  新遺言の効力

(一) 新遺言をした当時、マンゼンマイヤーに意思能力があったか。

(二) 新遺言の公正証書作成について、民法九六九条二号の方式(遺言者による遺言の趣旨の口授)が満たされているか。

(三) 新遺言をするについて、マンゼンマイヤーに要素の錯誤があったか。また、原告がこの錯誤無効を主張できるか。この錯誤無効により旧遺言の効力が復活するか。

2  相続人である被告ルイスへの相続による所有権移転登記の抹消登記を求める訴えの利益

第三争点に対する判断

一争点一(マンゼンマイヤーの遺言意思能力の有無)について

1(一)  (新遺言書の作成に至る経緯)

証拠(<証拠略>)によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(1) 被告会社を介してマンゼンマイヤーから新遺言書作成の相談を受けた弁護士小野傑と同竹原隆信(以下「竹原弁護士」という。)は、昭和六三年七月二二日、遺言書作成の打合せのためにマンゼンマイヤーの自宅を訪問した。打合せは右弁護士らとマンゼンマイヤーの三人で英語によって行われたが、その際マンゼンマイヤーは右弁護士らに対して、遺言執行者を原告と指定した旧遺言を取り消して、新たに岩田を遺言執行者に指定する内容の遺言書を作成したい旨伝え、右弁護士らに旧遺言書(乙三)とその英訳文を手渡した。

(2) 右弁護士らは、これを持ち帰り、その英訳文に手を加えてマンゼンマイヤーの意向に沿う内容の遺言書草案を二通作成した(以下「英文草案」という。)。

(3) そして、同月二六日、竹原弁護士は、遺言書作成の再度の打合せを行うために、右二通の英文草案を持参してマンゼンマイヤーの入院先である東京女子医大病院(以下「本件病院」という。)を訪れた。この際の打合せは、マンゼンマイヤーが病室から同じ階にある休憩室まで一人で歩いて来、その休憩室で同弁護士とマンゼンマイヤーの二人だけで英語により行われた。

(4) 右打合せは、同弁護士が持参した二通の英文草案(同弁護士はそのうち、一通(乙九)をマンゼンマイヤーに手渡し、他の一通(乙一〇)を自分の手元においた。)を加除訂正する形で行われたが、その際、マンゼンマイヤーは、自ら鉛筆で草案に手を加えるなどしながら、修正が必要な部分を同弁護士に指示し、一時間ないし一時間半程度の時間をかけて新遺言書の原案をまとめた。この打合せの間、竹原弁護士はマンゼンマイヤーの言動に特に異常な点を感じなかった。

(5) 翌七月二七日、竹原弁護士は、加除訂正された右英文草案に基づき、旧遺言書のコピーに鉛筆で修正を加える形で作成した新遺言書の日本語の草案を持参して霞が関公証人役場を訪れ、公証人木村博典(以下「木村公証人」という。)に右草案どおりの遺言公正証書の作成を依頼したい旨伝え、その日程の打合せをした。その結果、新遺言書は、翌二八日に木村公証人がマンゼンマイヤーの入院先の本件病院に出張して作成することになった。

(二)  (新遺言書作成時の状況)

証拠(<証拠略>)によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(1) 新遺言書の作成は、昭和六三年七月二八日午後五時ころから、本件病院の処置室を借りて行われた。その場に立会ったのは、マンゼンマイヤー本人(同人は病室から歩いてきた。)、木村公証人、公証役場の事務員、竹原弁護士、通訳のチャールズ・ウイルト・ジェフリー(以下「ジェフリー」という。)及び竹原弁護士の所属する法律事務所の事務員中地将子であり、木村公証人は、竹原弁護士が前日公証人役場に持参した日本語の草案を予め公正証書用紙に清書して作成した公正証書の草案(以下「新遺言書草案」という。)を持参し、また、竹原弁護士は、マンゼンマイヤーが当日新遺言書草案の内容を照合する便宜を図るため、その要旨の英訳文(乙一一)を持参した。

(2) 遺言書作成の手順は、まず、木村公証人が新遺言書草案を読み上げ、それをジェフリーがマンゼンマイヤーに英語で通訳し、なおかつマンゼンマイヤーは右要旨の英訳文で一区切りずつ内容を確認するという形で進められた。マンゼンマイヤーは日本に四〇年以上も居住しており日常生活に支障のない程度に日本語を理解することができたが、なお正確を期すため右のような作成作業を行ったものであった。

(3) また、木村公証人は遺言書作成作業に入る前にマンゼンマイヤーとの対話で同人の精神状態を確認したが、同人の意思能力には全く疑問を持たなかった。

(4) 右作成作業中、マンゼンマイヤーは、新遺言書草案の遺言内容を一つ一つ確認したうえ、その中で誤っている箇所(乙一の第八条4記載の受遺者の住所と氏名の部分)を指摘し、また、池永政昭への遺贈分に新たに中国風照明器具を加える(乙一の第五条の(六))ことを指示するなどして新遺言書草案を訂正させ、さらに、前記竹原弁護士が作成した要旨の英訳文の表現に問題のある点を指摘し、訂正するなどした。

(5) そして、木村公証人がマンゼンマイヤーの指摘により訂正した部分を含めて新遺言書草案の全部を読み上げ、ジェフリーがこれをマンゼンマイヤーに通訳して聞かせる作業が完了した後、マンゼンマイヤーはこれを承認し、新遺言書の原本に自ら英語で署名し、押印した。この新遺言書作成には約二時間半を要した。

(6) そのとき、マンゼンマイヤーは竹原弁護士に対して、遺言書作成後その内容と異なる財産処分はできないのか尋ねたが、同弁護士から、遺言内容と異なる処分をした場合にはその範囲で遺言が無効になり、処分行為が遺言により拘束されることはないとの説明を受けて納得した。

(三)  (新遺言書作成前後のマンゼンマイヤーの病状について)

証拠(<証拠略>)によれば、次の事実が認められ、右認定に反する<証拠略>は信用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(1) マンゼンマイヤーは、昭和五五年一〇月から間質性肺炎の疑いで本件病院に不定期に通院していたが、昭和六〇年末から昭和六一年末にかけて胸部痛の自覚症状が現れ、レントゲン検査の結果でも胸部に異常影の増大が認められたので、同年末から翌年三月まで入院し、精密検査の結果肺癌と診断され、化学療法による治療を受けた。その後通院で治療が続けられたが、昭和六三年六月初めころより左上肢に脱力感、しびれが生じたため、同月二二日と同年七月二〇日の二回脳の造影検査を受けた結果、癌が脳に転移していることが確認され、同年七月二六日、脳転移部分に対する放射線治療を受けるため本件病院に入院した。

(2) 入院時のマンゼンマイヤーは、上肢脱力感、しびれに加え頭痛及び労作時の呼吸困難を訴えてはいたものの、自ら歩いて本件病院に入院することができ、意識もはっきりしていた。

(3) 放射線治療は新遺言書が作成された日の翌日である七月二九日に行われたが、右放射線治療が実施されるまでのマンゼンマイヤーには看護記録及びカルテ上特に異常な行動があったとの記載は見られず、少なくともこの時点までは、医師も看護婦もマンゼンマイヤーの精神状態に異常があるとの認識は有していなかった。

(4) 七月二九日午後六時ころ、マンゼンマイヤーに自分の着衣のひもが結べないという症状(着衣失行)が認められたが、これは精神的作用の障害というよりは運動機能の障害であり、異常行動の範ちゅうには含まれないものであった。

(5) 同年八月四日、被告ルイスは、マンゼンマイヤーが入院後同被告宛に出した手紙を受け取ったので、その返事として病院に電話し、入院中のマンゼンマイヤーと話をしたが、その際、マンゼンマイヤーが同被告に、継続的な化学療法と定期検査を受けるために入院したが特に問題はない旨はっきりした口調で説明していたので、被告ルイスも、そのときは右会話の状況からマンゼンマイヤーの精神状態に異常があるとの認識は全く持たなかった。

(6) 同年八月七日前後から、マンゼンマイヤーに排便時の異常行動など、必ずしも運動機能障害によるものとは思われない異常行動が認められるようになり、担当医師は、その原因の一つとして、放射線治療の副作用と脳腫瘍による脳浮腫の軽減を図るために入院の翌日より毎日投与していたリンデロンの副作用を疑ったので、同月九日以降リンデロンの投与を低減していったところ、同月二四日には日中の異常行動がほとんど見られなくなった。

2  右認定事実によれば次のように判断することができる。すなわち、新遺言書の作成に当たっては、マンゼンマイヤーが事前に二度も弁護士と打合せを行い、旧遺言書の条項を変更する形で詳細な検討を加えたうえ、新遺言書の元となる英文草案をまとめたこと、新遺言書の作成時において公証人がマンゼンマイヤーに対して新遺言書草案を読み聞かせた際、同人は自ら右草案の誤りのある部分を指摘したり、また、その場で新たな条項の追加を指示するなどし、新遺言書草案の各条項を十分に理解していたこと、木村公証人も遺言書作成の際のマンゼンマイヤーの意思能力には全く疑問を抱かなかったこと、さらに、新遺言書作成時点でのマンゼンマイヤーの病状は既に癌が脳へ転移している状態ではあったものの、右時点では、看護記録上もまたカルテ上も同人の精神に異常を窺わせるような記載は認められず、その後の同人の異常行動も放射線治療の副作用等を低減するための薬剤の投与が主な原因と考えられることなどを総合考慮すると、新遺言書作成時、マンゼンマイヤーは意思能力を十分に有しており、この点を問題とする余地はないものというべきである。

二争点2(民法九六九条二号違反の有無)について

前記認定の事実によれば、新遺言の作成は、まず、遺言者であるマンゼンマイヤーが弁護士に事前に相談して英文の原稿を作成し、それを弁護士が日本語に翻訳した書面を作成し、公証人がその書面をさらに公正証書用紙に清書して新遺言書の原案を作成したうえ、遺言者に面接し、その内容を通訳を介して遺言者に読み聞かせたところ、遺言者はその場で新たな条項を付け加えるなどその内容を十分に確認したうえで承認し、右原案に自ら署名押印しているものである。右のような事実関係のもとでは、もはや民法九六九条二号の要件(遺言者の口授)は十分に満たされているものというべきである。

三争点3(錯誤無効の成否)

遺言も意思表示を内容とする法律行為である以上、民法九五条の適用があると解するのが相当である。ところで、原告は、岩田及び受遺者の一人である清水賦がマンゼンマイヤーに対し、原告がいわゆる地上屋と関係しており本件土地をいいように処分してしまう旨虚偽の事実を告げ、マンゼンマイヤーがその旨誤信した結果遺言執行者を原告から岩田に変更する新遺言をしたとして、新遺言の錯誤無効を主張するもので、その錯誤がいわゆる動機の錯誤であることは主張から明らかである。しかし、遺言自体の性質に照らし、右のような動機の錯誤が、新遺言の重要な部分の錯誤といえるのかはなはだ疑問であるうえ、新遺言書(乙一、乙七)には、旧遺言書を含むこれまでのすべての遺言を撤回して新たに新遺言書を作成する動機は一切表示されておらず、原告主張の動機が新遺言による意思表示の要素を構成するとみるのは困難である。

したがって、その余について判断するまでもなく、原告のこの点の主張も理由がない。

四以上のとおり、新遺言書が有効に成立したことにより旧遺言書は効力を失っているから、旧遺言書で指定された遺言執行者としての地位に基づいてする原告の本件訴えは、その余の点について判断するまでもなく、当事者適格を欠くものとして却下を免れない。

よって、主文のとおり判断する。

(裁判長裁判官田中康久 裁判官三代川三千代 裁判官東海林保)

別紙<省略>

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